ケニアの汚職事件・暗殺事件

ケニアの汚職事件・暗殺事件

2007年8月、正式稼働に至って間もないウィキリークスから、ケニア前大統領、
ダニエル・アラップ・モイ氏の汚職事件に関する捜査資料が公開されました。

この資料は、アサンジ氏がケニアで直接入手したものですが、作成者は、
現大統領のムワイ・キバキ氏だと言われています。

キバキ氏は汚職一掃に熱心な政治家で、某調査団体にモイ氏の汚職に関することを
調べさせ、報告書にまとめました。

その資料は、ケニアにある汚職追及団体「マーズ・グループ・ケニア」(MGK)に
一度渡りましたが、MGKがその資料の公表によって起こるであろう、政府からの
報復に恐れ、公表には至っていませんでした。

それをアサンジ氏が入手し、ウィキリークスで公表したのです。

そして次に、ケニア国内で、4人の捜査官が暗殺された事件に関する資料が
ウィキリークスによって公開されました。

これは、人権団体活動家の暗殺事件を捜査していた捜査官が、政府と密接に
関わっている暗殺集団によって殺されたことを物語る重要な資料でした。

元大統領の汚職事件もケニア国民を怒らせ、その後大きな動乱にまで発展
したのですが、暗殺集団に関する資料の公表で、アサンジ氏は人権保護団体
「アムネスティ」から表彰されました。

ジャーナリストとして、これは最高峰の名誉に当たることです。

このことで自信がついたウィキリークスは、その後数々の情報公開に成功して
いきます。

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