米国防省 VS ウィキリークス

米国防省 VS ウィキリークス

アメリカにとって、ケーブルゲート事件は、史上最悪の情報漏洩であり、
許されるものではありません。

ケーブルゲートの最初の文書公開が2010年11月28日で、その数日前にアメリカは、
ウィキリークスの動きを掴んでいました。

ヒラリー・クリントン国務長官は、まず各国の首脳や交流のある政治家と電話で
次々に会談し、今回の文書公電公開に関わる報道機関とも会合を開き、報道規定
などについて話し合いました。

アメリカとしては、外交関係の崩壊を何としてでも食い止めなくてはなりません。

一方、ウィキリークスも、文書公開日程の最終調整、その公開方法などを
ロンドンで会合を持ってぎりぎりまで話し合いました。

結果的には、米政府の徹底的な措置にも関わらず、ウィキリークスは文書を公開、
しかもその中には、クリントン長官が指示したスパイ活動の詳細も含まれており、
アメリカ側はパニックに陥ります。

クリントン長官は各国首脳の悪口公電の流出もあり、電話で謝罪を続けました。

このケーブルゲートに関する見解を各国首脳が次々に出し、世界中でパニックは
広がる一方でした。

何よりも、アメリカの機密文書が、無条件に、50万人もの人々が目にすることの
できる状況下にあった、ということで、アメリカの浴びる国際的非難はただならぬ
ものになりました。

こうしてアメリカ政府の信頼は、完全に失墜したのです。

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